私が思う表現力。
*長文注意です、すいません・・・。*
表現=心的状態・過程または性格・志向・意味など総じて
精神的・主体的なものを、外面的・感性的形象として表す事。
また、この客観的・感性的形象そのもの、すなわち表情・身振り
動作・言語・手跡・作品など。
表現力。
私が思う表現力は、”表現力とはこういうモノだ。”という正解が無い生物(なまもの)。
世の中に数えきれない程の演者がいると思いますが、その中で誰一人として
同じ演者はいないと思っています。
上にもある通り、性格や演じる時の心的状態、過ごして来た過程が人それぞれ
違うと思うから、こうでなければダメとかこれはこうあるべき等
演者に強制したり、比べたりする事はもはやお門違いなんだと。
そして、演者がいれば観客がもちろんいます。
観客ももちろん演者と同じように、その時の心的状態や性格が違うのですから
演者から感じる事や、好みは人それぞれで意見が分かれるのは当たり前。
例えば、一本のラブストーリー映画。
とっても良かった!という恋愛中の一人の女性。
こんなに上手く行くはずないじゃない!という失恋したばかり一人の女性。
あんな恋愛がしたい!という片想い中の一人の女性。
一つの作品を通して、観る人のその時の感情や状況でいくつもの意見があると思います。
だから演者も生物だし、観客も生物。
私が大好きなうに。
新鮮で採れ立てのうに、焼いたうに、蒸したうに、高いうに、安いうに。
どれをとっても、最後はやっぱりうにが好き!となる(笑)
私にとってうにのような存在が浅田選手で、それがファンになるという
事なんだと思います。
最近になって強く思う事、フィギュアスケートでのPCS採点。
表現力を採点する事自体が、間違っているというよりナンセンスなんじゃないかと。
ジャッジも人間、そして生物。
全ての選手を公平に採点するなんて事は、最初から無理な話なんだと思うんです。
スポーツなのでそこには上手い下手があり、シニアのベテラン選手と
シニアに上がったばかりの選手ではやはり差は出てくる。
そして重要なのは、ジャッジの好み、その上にある組織の志向。
結局、選手、ファンが一喜一憂する点数さえも生物なんだと。
私が浅田選手のファンでいられるのは、前から書いていますが
毎回、観る度に得られる感情が違うからです。
初めて彼女の演技をテレビで観たのは、2005年。
15歳という年齢そのままの素直な表現、溌剌とした笑顔を観て
私は新鮮な魚を獲った時のような「獲ったどーーっ!」という感情だったでしょうか。
それからの年月、彼女は年を重ねる度に違った表現をするようになりました。
私が彼女のファンとして始めて迎えた2006-2007年のシーズン。

シニアに本格参戦、この頃の演技からはジュニアでの演技と一線を引きたい
幼さから脱却したい、といったような思いを私は感じていました。
シニアの大変さを味わい、ほろ苦い経験もしたり、大きな喜びがあったり
と様々な感情が見えたシーズンでした。
2007-2008シーズン、タラソワ先生との出逢いがありました。
この出逢いによって、彼女の表現力という上での片鱗が見えたような気がします。
自らが選んだ、悲しく切ない旋律のヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア。

今までに演じた事のない悲しさや切なさ。
この時期は体の成長と共に、ジャンプのコントロールに苦しみ
思うような演技が出来なかったりで、涙を見せる事が多くなったように
感じました。
自ら止める事が出来ない体の成長に対する、どうしようもないという感情。
思うように動かず、ただ成長によってずれた感覚を修正し取り戻さなければ
ならないという、焦りや不安を演技から感じる時もありました。
そしてタラソワ先生がコーチになった2008-2009シーズン。
仮面舞踏会というプログラムと、「乗り越えろ」というテーマを与えられました。
浅田選手はそれまで自分の生の感情と、生まれ持った身体能力と本能で
何も考えず演じてきたと思うんです。
そこにタラソワ先生から、仮面舞踏会の楽曲の意味やテーマを理解し、
それを表現するという事を教えられた。

仮面舞踏会から浅田選手が得た印象や感情は、私にはわからないけれど
浅田選手の仮面舞踏会からは女性の凛とした強さみたいなものが感じられました。
今までは浅田選手の雰囲気に合った、美しさだったり可愛らしさだったり
が全面に出たプログラムでしたが、この仮面舞踏会では力強さという
新たな表現を手に入れたように思いました。
そして、切なさと力強さを手に入れた事により今まで十八番だった
美しく明るいプログラムも深みを増して、新たな魅力を引き出す事に成功
しました、それが私はタンゴだと思っています。

そして今シーズンー。
力強さを教えてくれた仮面舞踏会をSPへ。
当時、そして未だにこのSPは賛否両論ありますが、私はタラソワ先生の
思惑が少し見えた気がします。
あの力強かった仮面舞踏会が、初めての五輪の舞台に被せ
初めて舞踏会に来た感じに変化しました。

同じ曲なのに、ここまで違う表現に変化させる事が出来る。
力強さから華やかさへ、曲の解釈を変える事で表現が広がるという事を教えて
貰ったような気がします。
素直に凄い、と思いました。
そしてフリーはこちらも賛否両論ある「鐘」
恐らく、浅田選手にとって怒りの感情を自分の物にするのが一番大変だった
んじゃないでしょうか。
初めて見た鐘からはまだ怒りの感情は感じられませんでした。
ところが、思ってもみなかった自分の不調に自分ではどうする事もできない、
相談したいけどコーチはいない、というもがきがありそれと同時に自分への
怒りが込み上げてくる、苦しかったと思います。
人間の感情というのはみな成長と共に経験したからこそ、表現できる物であって
さぁ怒りなさいと言われてすぐできる物ではありません。
ましてや、あの全身から愛されオーラ全開の浅田選手がですよ。
演技の中に全身で怒りを表現するには、力強さが不可欠。
昨年の仮面舞踏会も、浅田選手には不可欠だった。
現在の鐘を見て、タラソワ先生の2年計画は完成されつつあると私は思っています。
鐘はまだ浅田選手には早過ぎる、ただ暗くて重いだけという意見もありますが、
私はむしろちょうどぴったりだと思ってます。
何故なら、タラソワ先生に出逢って得た物は浅田選手の成長、人生を
見せてくれているから。
今までのタラソワ先生のプログラムは
ラベンダー、タンゴ、仮面舞踏会、鐘、カプリース。

喜 怒 哀 楽
これは私の妄想かもしれませんが、実際にタラソワ先生と振り付けで
出逢った時、浅田選手に欠けていたものは哀と怒だったと思います。
先生はそれを見抜き、浅田選手の王道を行くのではなく浅田選手と人生を
歩もうと思った。
コーチになる時は才能に惚れながらも、壊してはいけないと悩んだ事でしょう。
この哀と怒を浅田選手に与えられるのは、山田コーチでもなく、ラファエルコーチ
でもなく、振り付けのローリーでもなく、タラソワ先生にしか
成し得なかったのではないでしょうか。
途中、諦めかけた事もありました。
けれど、浅田選手は乗り越え素晴らしい表現力を身につけた。
そして五輪に選んだのは、喜怒楽。
浅田選手の夢だった五輪の舞台で、思う存分自分がこれまで歩んできた人生を
表現して欲しい。
それが出来た時に、妬みや欲に満ちた大人、ジャッジ、組織の志向が
変わるんじゃないでしょうか。
高級寿司屋に行ったら、新鮮な採れ立てのうにが食べたい。
五輪という世界で一番大きな舞台では、好みや志向に左右される事のない
新鮮な採点が観れる事を心から願っています。
表現=心的状態・過程または性格・志向・意味など総じて
精神的・主体的なものを、外面的・感性的形象として表す事。
また、この客観的・感性的形象そのもの、すなわち表情・身振り
動作・言語・手跡・作品など。
表現力。
私が思う表現力は、”表現力とはこういうモノだ。”という正解が無い生物(なまもの)。
世の中に数えきれない程の演者がいると思いますが、その中で誰一人として
同じ演者はいないと思っています。
上にもある通り、性格や演じる時の心的状態、過ごして来た過程が人それぞれ
違うと思うから、こうでなければダメとかこれはこうあるべき等
演者に強制したり、比べたりする事はもはやお門違いなんだと。
そして、演者がいれば観客がもちろんいます。
観客ももちろん演者と同じように、その時の心的状態や性格が違うのですから
演者から感じる事や、好みは人それぞれで意見が分かれるのは当たり前。
例えば、一本のラブストーリー映画。
とっても良かった!という恋愛中の一人の女性。
こんなに上手く行くはずないじゃない!という失恋したばかり一人の女性。
あんな恋愛がしたい!という片想い中の一人の女性。
一つの作品を通して、観る人のその時の感情や状況でいくつもの意見があると思います。
だから演者も生物だし、観客も生物。
私が大好きなうに。
新鮮で採れ立てのうに、焼いたうに、蒸したうに、高いうに、安いうに。
どれをとっても、最後はやっぱりうにが好き!となる(笑)
私にとってうにのような存在が浅田選手で、それがファンになるという
事なんだと思います。
最近になって強く思う事、フィギュアスケートでのPCS採点。
表現力を採点する事自体が、間違っているというよりナンセンスなんじゃないかと。
ジャッジも人間、そして生物。
全ての選手を公平に採点するなんて事は、最初から無理な話なんだと思うんです。
スポーツなのでそこには上手い下手があり、シニアのベテラン選手と
シニアに上がったばかりの選手ではやはり差は出てくる。
そして重要なのは、ジャッジの好み、その上にある組織の志向。
結局、選手、ファンが一喜一憂する点数さえも生物なんだと。
私が浅田選手のファンでいられるのは、前から書いていますが
毎回、観る度に得られる感情が違うからです。
初めて彼女の演技をテレビで観たのは、2005年。
15歳という年齢そのままの素直な表現、溌剌とした笑顔を観て
私は新鮮な魚を獲った時のような「獲ったどーーっ!」という感情だったでしょうか。
それからの年月、彼女は年を重ねる度に違った表現をするようになりました。
私が彼女のファンとして始めて迎えた2006-2007年のシーズン。

シニアに本格参戦、この頃の演技からはジュニアでの演技と一線を引きたい
幼さから脱却したい、といったような思いを私は感じていました。
シニアの大変さを味わい、ほろ苦い経験もしたり、大きな喜びがあったり
と様々な感情が見えたシーズンでした。
2007-2008シーズン、タラソワ先生との出逢いがありました。
この出逢いによって、彼女の表現力という上での片鱗が見えたような気がします。
自らが選んだ、悲しく切ない旋律のヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア。

今までに演じた事のない悲しさや切なさ。
この時期は体の成長と共に、ジャンプのコントロールに苦しみ
思うような演技が出来なかったりで、涙を見せる事が多くなったように
感じました。
自ら止める事が出来ない体の成長に対する、どうしようもないという感情。
思うように動かず、ただ成長によってずれた感覚を修正し取り戻さなければ
ならないという、焦りや不安を演技から感じる時もありました。
そしてタラソワ先生がコーチになった2008-2009シーズン。
仮面舞踏会というプログラムと、「乗り越えろ」というテーマを与えられました。
浅田選手はそれまで自分の生の感情と、生まれ持った身体能力と本能で
何も考えず演じてきたと思うんです。
そこにタラソワ先生から、仮面舞踏会の楽曲の意味やテーマを理解し、
それを表現するという事を教えられた。

仮面舞踏会から浅田選手が得た印象や感情は、私にはわからないけれど
浅田選手の仮面舞踏会からは女性の凛とした強さみたいなものが感じられました。
今までは浅田選手の雰囲気に合った、美しさだったり可愛らしさだったり
が全面に出たプログラムでしたが、この仮面舞踏会では力強さという
新たな表現を手に入れたように思いました。
そして、切なさと力強さを手に入れた事により今まで十八番だった
美しく明るいプログラムも深みを増して、新たな魅力を引き出す事に成功
しました、それが私はタンゴだと思っています。

そして今シーズンー。
力強さを教えてくれた仮面舞踏会をSPへ。
当時、そして未だにこのSPは賛否両論ありますが、私はタラソワ先生の
思惑が少し見えた気がします。
あの力強かった仮面舞踏会が、初めての五輪の舞台に被せ
初めて舞踏会に来た感じに変化しました。

同じ曲なのに、ここまで違う表現に変化させる事が出来る。
力強さから華やかさへ、曲の解釈を変える事で表現が広がるという事を教えて
貰ったような気がします。
素直に凄い、と思いました。
そしてフリーはこちらも賛否両論ある「鐘」
恐らく、浅田選手にとって怒りの感情を自分の物にするのが一番大変だった
んじゃないでしょうか。
初めて見た鐘からはまだ怒りの感情は感じられませんでした。
ところが、思ってもみなかった自分の不調に自分ではどうする事もできない、
相談したいけどコーチはいない、というもがきがありそれと同時に自分への
怒りが込み上げてくる、苦しかったと思います。
人間の感情というのはみな成長と共に経験したからこそ、表現できる物であって
さぁ怒りなさいと言われてすぐできる物ではありません。
ましてや、あの全身から愛されオーラ全開の浅田選手がですよ。
演技の中に全身で怒りを表現するには、力強さが不可欠。
昨年の仮面舞踏会も、浅田選手には不可欠だった。
現在の鐘を見て、タラソワ先生の2年計画は完成されつつあると私は思っています。
鐘はまだ浅田選手には早過ぎる、ただ暗くて重いだけという意見もありますが、
私はむしろちょうどぴったりだと思ってます。
何故なら、タラソワ先生に出逢って得た物は浅田選手の成長、人生を
見せてくれているから。
今までのタラソワ先生のプログラムは
ラベンダー、タンゴ、仮面舞踏会、鐘、カプリース。

喜 怒 哀 楽
これは私の妄想かもしれませんが、実際にタラソワ先生と振り付けで
出逢った時、浅田選手に欠けていたものは哀と怒だったと思います。
先生はそれを見抜き、浅田選手の王道を行くのではなく浅田選手と人生を
歩もうと思った。
コーチになる時は才能に惚れながらも、壊してはいけないと悩んだ事でしょう。
この哀と怒を浅田選手に与えられるのは、山田コーチでもなく、ラファエルコーチ
でもなく、振り付けのローリーでもなく、タラソワ先生にしか
成し得なかったのではないでしょうか。
途中、諦めかけた事もありました。
けれど、浅田選手は乗り越え素晴らしい表現力を身につけた。
そして五輪に選んだのは、喜怒楽。
浅田選手の夢だった五輪の舞台で、思う存分自分がこれまで歩んできた人生を
表現して欲しい。
それが出来た時に、妬みや欲に満ちた大人、ジャッジ、組織の志向が
変わるんじゃないでしょうか。
高級寿司屋に行ったら、新鮮な採れ立てのうにが食べたい。
五輪という世界で一番大きな舞台では、好みや志向に左右される事のない
新鮮な採点が観れる事を心から願っています。
| フィギュアスケート 浅田真央選手 | 16:54 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑














